創世記

創世記9章

2020年7月22日

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新しい創造

 

「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は(…)あなたたちの手にゆだねられる」(1-2節)。神はノアと彼の息子たちを祝福して言われました。神は創世記1章28節で人間に語ったことと同じ内容を、もう一度語ってくださるのです。1章で、人間はこの神の求めに応えることはできませんでした。洪水が起こるまでの間、人間は神に背くことしかできませんでした。にもかかわらず、神は同じ言葉をもう一度語られます。今度こそ、人間は応えることができると神は期待しておられるのです。人が心に思うことは幼いときから悪い。そのことは洪水後もかわりません。しかし、そうであるにも関わらず、人間には神に応える能力が与えられているのです。古いものは拭い去られました。ここに書かれていることは新しいものの始まりです。神は新しいものを創造し、創造のときの言葉を語りなおしてくださいます。人間は今度こそ、神との交わりに生きるものとなることができるのです。

 

人間を尊いものとして扱う神

 

「肉は命である血を含んだまま食べてはならない。また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を要求する」(4-5節)と神は言われます。

レビ記には、献げ物の血は決して食べてはならないと定められています。その根拠となるのがこの創世記6:4-5です。血は命であり、命の源は神のみであるので、血は祭壇に注ぎかけ神に返さなければならないのです。献げ物の血を食べることで、人間が命を司っているかのように振舞ってはならない、ということです。

神は、人間の血が流された場合、神自らが賠償を要求すると言われます。それは、人間の価値についての神の宣言です。上記のように、ここは律法の根拠となるところであり、律法を直接守っているわけではないわたしたちにとってはあまり関係のない個所に思えるかもしれません。しかし、実際には、人間の命は尊いものであり、それが失われることを神は許容されない、それを保つことに対して妥協されない。その宣言はわたしたちすべての人間に対して語られる神の肯定の言葉であるのです。

「人は神にかたどって造られたからだ。あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ」(7節)。神は再び人間を創造されたときの言葉を語られます。洪水の後も、人間は神の似姿であり続けるのです。心に悪を持つ人間は、それにも関わらず、神から尊いと宣言される存在であるのです。

 

 

神は、二度と洪水によって滅ぼすことをしないと、契約を立ててくださいます(10節)。神と人間は対等な存在ではありません。神は本来契約を立てる必要が無いにも関わらず、契約を立てることによって、ご自身を拘束してくださる。必ずそれを守るという義務をご自身に課してくださるのです。イスラエルにおいて、契約を結ぶ際行われていた行為があります。それは、二つに裂かれた動物の間を当人同士が歩いて通るということです。それは、契約を破った場合には死が与えらえることを了承するという意味です。契約にはそれだけの重みがあります。神はこの契約を人間との間に立ててくださるのです。

また、神は、「わたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く」(13節)といわれました。虹は弓の形をしています。英語でも雨(rain)の弓(bow)と書いてrainbowと読みます。このことから、神は人間に対して二度と弓を引くことは無いという意味で虹をしるしとしてお与えになったのだと読むこともできます。いずれにせよ、わたしたちは虹を見る度に、神は二度と人を滅ぼさないという契約を思い出すことができるのです。

そして、重要なことは、人間だけでなく神御自身が、「わたしが地の上に雲を湧き起らせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約を心に留める」(14-15節)と言ってくださっているということです。神は契約を決して忘れることはありません。16節でも神は念を押すように、「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て(…)永遠の契約に心を留める」と語ってくださいます。神は契約を忘れません。それはすなわち神が人間を忘れないということです。このことは福音です。洪水によっても拭い去ることができなかったものは、神が人間を覚え続けるということであり、神が人間に関わり続けるということであるのです。

 

取り戻された神との関係性に生きる

 

災害や戦争を見るとき、なぜこのようなことが起こるのか分からなくなることがあります。新型コロナウイルスの流行も一つの災害です。この世界には依然として悪があります。災害も起こります。しかし、それを神の怒りだとか、天罰だと思うならば、そのとき、わたしたちは神が立ててくださった契約を忘れているのです。神が虹を見る度、心に留めてくださっているのに、人間が忘れていては仕方ありません。神は人間の罪に対して滅ぼすことは二度としない、武器を取ることはもう決してしないと固く誓ってくださいました。災害は神の怒りではありません。神は人間の命を尊いと考え、流される血に対して自ら賠償を要求される神です。神は人間を二度と滅ぼさず、命へと招き続ける。この、神が決して忘れない契約をわたしたちも覚え、応えたいのです。神に応え、神との交わりに生きる人間本来の姿が、洪水後の新しい世界で回復されました。わたしたちもこの回復された神との交わりの内に生きたいのです。

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