18章の後半には、ソドムを滅ぼそうとされる主に対し、アブラハムが執り成すという場面が描かれています。
この個所が伝えていることは、神は慈しみ深い神であるということです。
アブラハムは「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くあり得ないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか」と訴えました。
その言葉の通り、神は正しいお方であられるので、悪い者のために正しい者を滅ぼすことはあり得ません。
そして、実際に神がそれをしないということによって、神の正しさがここで証明されているのです。
アブラハムの訴えは大胆であったが、事実その通りになった。神は正しい者を巻き添えにはなさらなかった。やはり神は慈しみ深いお方であった。それがこの個所から分かることです。
もし、十人でも正しい者がいれば、その者のために、神はソドム全体を滅ぼさないと約束されました。しかし、ソドムは滅ぼされることになります。それは、たったの十人も正しい者がいなかったからです。
では、2~3人は正しい人がいたが、その人たちは犠牲になったのかといえば、そうではありません。ソドムには正しい者は一人もいなかったのです。そして、ただロトの家族だけが、アブラハムの信仰によって救い出されたのです。29節には「神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」とあります。人間は執り成されなければならないのです。
19章は一見すると、悪い者は滅びるという単純な教訓に見えます。しかし、ここはそのような脅しではありません。滅ぼされたくなければ神を信じよと言っているのではありません。重要なことは、アブラハムの執り成しによってロトが救い出されたということです。
ロトが救われたのは、ロトの正しさによるものではありません。アブラハムの執り成しによって、神が救われるのです。
わたしたちが目を向けるべきなのは、滅ぼされたソドムではなく、救い出されたロトの方です。
なぜなら、主イエスの死と復活によって、すべての人間の救いは既に成し遂げられたという知らせをわたしたちは聴いているからです。
わたしたちには、ソドムのように、悪だからという理由で滅ぼされる可能性はもうないのです。
だから、わたしたちは、救い出されたロトに自らを重ねます。
自らの悪にも関わらず、執り成しによって救われたロトにです。
わたしたちはまさに、主イエスの仲介によって救われました。
10人の正しさによってソドムが救われる可能性があったように、主イエス・キリストお一人の正しさにより、人類全体が救われたのです。(ローマの信徒への手紙5:17-19)
主イエスは父なる神と人間の間に立ち、人間の救いのために執り成してくださいました。そして、救いを成しとげてくださいました。
わたしたちは、自らの悪にもかかわらず、ただこの主イエスの正しさによって、神に救っていただいたのです。